第13話『"長門"有希の憂鬱Ⅰ』

 彼がいなくなる。こんな暗い公園に一人ぼっち。

 わたしは情報改変を施し、憂鬱な毎日を過ごす。彼がいない毎日は、わたしにとって憂鬱そのものでしかなかった。……会いたい。

 それからわたしは毎晩この公園に通っていた。寒々しい夜の公園はわたしの身を……心も……冷たい風で冷やす。

 静けさに抱かれながらまた今日も待っている。

「……今日こそ彼が帰ってくる……?」

 誰がいるわけでもないのに口に出してしまう。早く。早く帰ってきて。わたしは彼を渇望している。理由は、彼が好きだから。


「……キョン……」


 彼が居ない事をいいことに彼をあだ名で呼んでみる。わたしはそれがなんだかとても恥ずかしいことに思えてくる。なんで?……わたしと彼は一般から見ても恋人同士。なのに、あだ名で呼べないのはなぜ?

 ……次、会った時から彼を「キョン」と呼んでみよう、とわたしは決心する。

 ……わたしのことも名前で呼んで欲しい……。


 ふと、目の前で時空間移動が行われているのを観測する。

 ――――彼?

 髪の毛が見える。あの真っ黒な髪は彼のもの。わたしは思わず目に涙を浮かべる。こちらに背を向けている彼に今すぐ抱きつきたいのをわたしは我慢する。そっと小さな声で彼に言う。

「おかえりなさい」

 彼は振り向く。

 そしてわたしに作り物ではない笑顔を見せながらこう言った。

「ただいま、長門

 ……しかし、わたしは喜んでもいられなかった。彼が帰ってきた、ということはもうひとりのわたしも帰ってくる。

 ――――来た。制服姿のわたし。

 その表情は―――どこか寂しそう。わたしもさっきまであのような寂しい顔をしていたのだろうか。もうひとりのわたしは口を開く。

「わたしは……エラー」

 彼は驚いている。

 これは、核心を突くセリフ。ごめんなさい。原因はわたしのせい。わたしのせいであなたは苦しむことになった。けれど、わたしがいなければ、あなたは存在していなかった。わたしがいなければ、あなたは彼に出会うことも無かった。
 ……少しは、感謝して欲しい。

 でも、だからと言ってあのような行動に出たのは許せない。

 ……わたしの"キョン"なのに。

 それでも、彼が戻ってきたと言うことは、わたしを選んでくれたということ。嬉しい。

 彼ともうひとりのわたしの会話が始まる。

「なぁ、有希。お前、有希だよな?」
 有希、というワードにわたしは反応してしまう。
「そう」
「お前……エラーだったのか?」
「……そう」
「詳しくは後で説明する」
「ありがとう……わたしは……そろそろ時間が無い」

 彼は驚く。もうひとりのわたしが消えるということに。

「どういう意味だよ!」
「……そのまま」

 もうひとりのわたしの足元から情報の連結が解除されていく。それは誰かが手を下したことではなく、自然に。言い換えれば、タイムリミット。時間制限。でも、それは仕方の無いこと。彼女はわたしから産み出た者。言わばわたしのエラーの塊。こうしたい、ああしたいというわたしの欲望。それを形にすることで、わたしは膨大な量のエラーを解消させた。しかし、それはかえってエラー自身のエラーをも生み出す形となった。わたしはわたし、ということに改めて感心した。わたしだから彼を好きになるのは規定事項であり、必然だった。エラーに支配される時もあった。とても気持ちが良かった。

 もうひとりのわたしは足が無くなったので立てなくなる。彼がもうひとりのわたしを抱きかかえる。

「有希!」
「なに」
「一つ訊きたい……なんでお前はあの世界を作ったんだ?」
「……あなたを……独占したかった」
「……」
 彼はどうやら告げるべき言葉が見つからないようだった。彼女はもう腰あたりまで解除されかかっている。

「あなたと過ごした……数日間は……楽しかった」

「あぁ……」

「存在が変わるほどの夢を見せてくれて………ありがとう」

「あぁ……」

「あなたが好き……でした」

「あぁ……っ!」

「……ありがとう」

 もう胴体半分まで解除されている。
「俺も……お前が好きだ」

「……」

 うなずくもうひとりのわたし。


「だがな、すまん。……俺にはもっと好きな奴がいるんだ」

 彼はわたしの方を見る。その表情は、もう同じ失敗は繰り返さない、と言ったような顔だった。それでも彼の目からは涙が出ている。

「それで、わたしは……じゅうぶん」
「……ごめん、な」
「いい」

「……さよな、ら」

 彼女は涙で言葉を紡ぐのが遅れる。彼も泣いている。……わたしも……泣いてる……?
 彼は優しい口調で言った。
「あぁ。……じゃあな」

「……うん」

 もうひとりのわたしは完全に情報の連結が解除された。彼は立ち上がり、わたしの方を振り向く。

「説明……してくれるか?」
「……」
 わたしは無言でうなづく。彼と二人で公園内のベンチに腰を下ろす。こうして近くで肩を摺り寄せるのは嫌ではない。すき。でも、今はそれを感じている時間ではない。後で待たされた分までたっぷりしてもらうことにする。

「まずは……有希について話してくれないか?」

「彼女は……わたしのエラー。あなたとの日常での生活から発生したエラーを解消するためにエラーを形にしてあなたと時間を共有させるようにした。そのほうがエラーの解消が早く済むと考えたから。でも……エラーは増える一方だった。そのエラーが、感情というものだと気づかされたのは……その後の出来事」

「……初めての暴走の時、か」

「そう。わたしが暴走している間は彼女に体を支配されていた。……でも、きもちよかった。結果的に彼女は独立し、わたしと対等の力を持つようになった」

「……」
 彼は黙り込んでわたしの話を聞いている。

「そして彼女はとうとう自らの創り出した世界にあなたを引きずり込んだ」
「……世界改変したんじゃなかったのか?」
「……正確には、違う。でもほとんど同じ」
「何が違うんだ?」
「閉鎖空間のように、こちらの世界も存在したこと」
「……そうか」
「あなたがいない間、わたしはずっと待っていた」
「……ごめんな」
「いい」
「その俺がいない間は、どうなってたんだ?」
「……情報操作は得意」
「ははは、そうだったな」
「でも……寂しかった」
「……これから埋め合わせするからな」
「そう」
 わたしは嬉しい。胸の底から何か暖かいものが噴出すように弾ける。

 彼はわたしに質問を投げかける。

「なぁ……気になったんだが、なんで俺の記憶の鍵が栞だったんだ?」
「それは……」

 と、ここまでわたしは言って口を閉じる。
「あなたの記憶をわたしの栞として使うことによって一体感を得られたから」
 なんて……言えない。さらには
「何があってもそれだけは壊れないように、情報改変されないようにしていた」
 なんて……。だからわたしは、彼にこう答えた。

「……ひみつ」
「教えてくれたっていいじゃないか」

 彼は困ったような顔をした。………たまらない……。

 わたしは何を考えているのだろう。いけない。でも、その顔をインターフェイス情報内kyonフォルダに保存する。今までの寝顔も充実している……。

 彼は表情を楽しそうな顔に変えた。

「とりあえず……ただいまってことでいいのか?」

「……いい」

 彼の手が、わたしの肩に伸びる。その手に力が入り、わたしを抱き寄せようとする。わたしは抵抗しない。するはずがない。1月弱ぶりの、彼の暖かい唇。わたしは久しぶりのその感触を味わった。

キョン……すき」
 彼はわたしが彼のことをキョンと呼んだことに気づいてない。
「俺もだ……長門……」

「……名前で呼んで」

「あぁ……愛してる、有希」

 わたしは胸が躍る。……こんなにもキョンが近い。

「わたしも」
 
 今度はわたしからキスをする。彼の首を腕を廻して抱きついてしまう。舌を入れてしまおうか、とも考えた。………彼からしてくるのを待つことにする……。いつになるのだろうか。彼は……いくじなしだから……遅くなる可能性が高い。でも……そこが……いい。……わたしはさっきから変なことを考えすぎている。これはエラーなどではない。立派な………愛情。偏っているかもしれないけれど。

「なぁ、なが……有希」
「なに」

 抱き合ったまま話す。彼はなんだか悩ましい顔をしている。保存。

「明日から1ヶ月分の勉強、教えてくれないか?」
「……いい」

 明日から忙しくなる。それは、わたしにとっては喜び以外の何物でも無い。
 わたしは彼がそばにいるということがまた嬉しくなる。だからもう一度、呟く。今度は名前付きで。

「……おかえりなさい……キョン

「……なんだか新婚さんみたいだな」

 ……彼はどうやらあんまり雰囲気を読む力に長けていない模様。


第13話『"長門"有希の憂鬱Ⅰ』〜終〜


キョン「次回予告!
   なんと!俺の右手にまたもや異変が?!」
長門「……今度はわたしのエラーじゃない」
キョン「……とすると……どういう意味だ、それ」
長門「わたしも知らない」
キョン「おい、なんで怒ってるんだ?」
長門「……知らない」
キョン「……なんか知らんが、謝っとく」
長門「第14話『ど根性右手』」
キョン「乞うご期待!」