第9話『新たな世界』

 暗い。たぶんもう8時くらいになってるだろうな。吹きすさむ風がほんの少し肌寒く感じられる。それは体感温度ではなく、精神的なものかもしれない。とにかく、俺は鳥肌が立ってしまっている。公園のベンチには誰もいない。見渡す限り道路には車も通ってないし、夜中を散歩しているような人も見当たらない。まるでその静けさは、ハルヒが創り出した、あの世界を連想させる。
 俺は錯覚に陥る。ここは本当に現実世界か?もしかしたらここは閉鎖空間ではないのか?しかし、そんな俺の疑問はすぐに晴れた。

 公園内の灯りが二人の少女を照らす。どちらも長門。それが俺の思考を現実へと引き戻してくれた。常識や、一般論からいくと、この二人は双子、または姉妹に予想されるだろう。俺は真実を知っている。知ってしまっている。
 あの二人は、どちらも長門有希だ―――

 今までに幾度か感じたことのあるような、嫌な予感がする。しかし、今回のそれは今までのものとは比較にならないような、まるでケタ違い。

 ……いったい何が起こるんだ?……あいつらは何をする気なんだろうか?

 はっきり言おう、俺は混乱してしまっている。さっきまでは遊園地で3人仲良く、観覧車に乗っていたじゃないか。有希が「がまんできない」と言い―――俺はあの時のように体の自由を奪われ―――ワケも分からぬまま、視界が真っ白になり―――気が付いたらここ、公園にいた。
 何が起こったんだ?さっきの会話を思い出せ。

『……わたしはもう一人のわたしに嫉妬している』
 有希の言葉だ。……これは何を意味している?有希が長門に嫉妬?なぜだ?もう一度、よく思い出すんだ。

『もう一人のわたしはわたしよりもあなたに優遇されているから』
 俺が長門を優遇した?……そして有希の最後の言葉―――

『……もうおそい』
 その言葉が脳内に反響すると同時により一層の嫌な予感が、刺激となって俺の背中を走った。

 考えるよりも先に体と口が動く。俺は二人の方へと駆け出し―――

「有希ッ!待ってくれ!」

 二人がこっちに振り向く。口が高速で動いている。何か喋っているのかも分からないようなくらいの小声で呪文を言い合っているのだろう。近くまで来ると分かった。

 空間が―――捻じ曲がっている―――!?二人の周りだけ、まるで蜃気楼のように、グニャリグニャリと常に流動体を維持している。中では空間の槍やら、俺にはよく分からないものやらが散乱している。ち、近づけん……。
 止めには入ろうにも、そんじょそこらの、一介の男子高校生である俺に何ができる?

 ……待てよ、有希は能力が使えないんじゃなかったのか?………あれは嘘、か。今思えば、その能力で服を作ったりしてたな。なんで俺はそんな簡単なことにも気づかないんだ?俺は本当に鈍感だ。朝比奈さんにも、有希にも言われた言葉だ。言われても何か事件が起こらないと気づかないなんてな。笑えねぇ。

 ……今の俺に何ができる?二人を止めることか?どうやって?

 ……方法が思いつかない。……俺があの空間に飛び込めば、どうにかなるか?

「うぉぉお!」

 俺は雄叫びをあげ、飛び込む。

 その瞬間、不思議な力?が俺を護る。長門は無表情ながらも、口の端を数ミリ上げ、無理して微笑みをつくる。そして、片目を瞑る。


 ―――ウィンク?


 次の瞬間、長門は無数の空間の槍を胴体に叩き込まれた。長門の力のおかげで胴体の貫通は免れたが物凄い速度で後ろへ吹き飛ぶ。俺は長門のそばへ駆け寄る。長門を抱きかかえる。

「おいっ!長門!大丈夫か?!」
 俺が見ても分かる。もう駄目みたいだ。

「だいじょ…ごふっ……う……ぶ」
 長門が血を吐いた。俺はその血を胸に浴びる。嫌悪感は無い。今、俺の心の中を支配しているのは、長門への心配だけだ。

長門長門ぉ!」
 俺は泣いている。長門が目の前にいるにもかかわらず。
「大丈夫……情報連結を解除されない限り……再生可能……」
「そんな無理しなくていい!こんなときぐらい苦しそうな表情をしろよ!」
「ごめんな……さ…い」
「もう喋るな!」
「今は……力が残っていない……だから……再生は出来ない……」
「お願いだ、長門!死なないでくれ!」

 長門が俺に死なないことを必死にアピールしようとしているのは分かっている。ただ、俺はなぜか、これが長門との最後の別れのように思えて仕方が無い。長門の頬に俺の涙が落ちる。長門は指でそれを掬う。チロっと出した舌先で舐める。

「……ありがとう」
「何で礼なんか言ってるんだ……っ!」
「わたしのために、泣いてくれた」
 長門!生きてくれ!お願いだ!

「それが、とてもうれしい」

 ……長門もいつの間にか涙を流していた。

「ただ……」

 俺は何も言えない。


「あなたにもう……会えないことだけが……かなしい……」


 長門が俺の腕の中で急に目を閉じた。
長門長門!?おい、返事しろ!どうしたんだ?!」

 俺の呼びかけに長門の口だけが小さく動いて、応える。
「あなたとまた会える確率は……約七千百分の一」
「ほとんどゼロじゃないか……っ!」
「強制休息に入る……これが……最後……」
「……」

 俺は長門の言葉に必死に耳を傾けた。


「あなたが……好き。………愛してる」

「俺も好きだ!愛してる、長門!」

「……キス」


 長門の潤んだ唇に俺の乾いた唇を押し当てる。俺はそのキスの味がなぜか甘く感じた。

 数秒後、長門は息もしなくなった。

 俺は顔を離す。長門の表情は、どこか安らかで、優しげのある顔だった。この表情は今までに見た全ての人間の表情の中で、一番俺が人間らしいと感じられたものだった。

 俺は長門をもう一度ゆっくりと抱き寄せる。長門の体温が一気に下がっていくのが分かる。俺はまた泣きそうになるが、堪えた。

 俺は羽織っている上着を地面に敷き、その上に長門を寝かせた。

 後ろには有希がいる。

「有希……お前……」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい」
 泣きそうになっているのを我慢しているのが表情から伺える。
「もう一人のわたしには……すこしだけ、止まって貰う必要があった」
 なぜだ?!

 俺は怒りを見に任せて有希を殴ろうとしたが、その姿を確認すると、やっぱり……長門……だ。殴れるはずが無い。なんだろうか……この複雑な、どんな難解なパズルよりも……複雑な……気持ちは……。

 有希がそっと口を開く。
「わたしは今から世界改変を行う」
「……なんだって?」
「あなたの記憶は……残しておいたほうがいい?」
「……なんで世界改変をするんだ?!」
「……質問に応えて」
 俺の反論は一切通さないつもりか。

「……じゃあ、残してくれ」


「……そう……じゃあ残さない」


「……こんなときに冗談なんて笑えないぞ、有希」
「冗談じゃない。そうしないとあなたはもうひとりのわたしの影をずっと引きずることになる」

「……それでいいじゃないか」

「わたしは良くない」

 強い口調で発言する有希。長門の……いや、有希のこんなに強い意思を見たのは初めてだ。

「……お前はどんな世界にするんだ?」

 俺はなぜかこいつを有希、と呼ぶことをためらってしまう。

「……わたしの望む世界」

 ずいぶん安直だ。そりゃそうだろう。自分にプラスな結果にするよな。

「大丈夫、涼宮ハルヒは存在させる」

「なんか引っかかりのある言葉だな。それ」
「そう」
「そろそろ……するのか?」

 俺は抵抗が出来ないことはもう分かっているので、それを受け止める。

「そろそろ……する」
「なんか緊張するな……」
「安心して」
「何をだ?」
「わたしもあなたが好き。愛してる」
「はは、俺も……かもしれん」

 俺には笑う余裕なんて無い。無いはずだが、笑ってしまった。


「それじゃあ、また。新しい世界で」
「あぁ、また、な」


 俺は心の底から願う。

 もう一度、"長門"に会えますように―――、と。

 俺は目の端で長門を見る。口が動いた。残念ながら何を言っているのか分からない。……どうやらイ行、オ行、イ行と喋ったようだ。これは確実ではないが、俺の直感と、洞察力を信じるとこうなるだろう。

 だんだんと、不思議な感覚が身の回りを覆っていく。

 空気の波のようなものが俺に押し寄せる。

 また、目の前が真っ白になる―――



第9話『新しい世界』〜終〜


キョン「次回予告!
   とうとう世界改変を行ってしまった有希!」
長門「どうなるの」
キョン「知らん」
長門「わたしは……最後になんて言ったの」
キョン「分からん。イ、オ、イ……か」
長門「わたしが予告に出れるのも今回で最後……?」
キョン「そうさせないように頑張るさ」
長門「応援してる」
キョン「あぁ」
長門「第10話『長門"有希"の憂鬱I』」
キョン「長門……  ギュ
   乞う……ご期待!!」
長門「またいつか……」チュッ