第5話『恋のスクランブル』

 起きる瞬間ってのは自分でも分からないもんだ。そもそも、起きる瞬間ってやつの定義が分からん。 脳が起きた瞬間か?目を開けた瞬間か?体を起こした状態になった瞬間か?……なぜこんな小難しいことを朝っぱらから考えなきゃならんのだ。
 まぶたが重い。出来ることなら時間が許す限り布団にくるまっていたい。
 が、しかし。
 学校ってもんがそれを許してくれない。まぁ、楽しいこともあるだろうからな。それはそれでいい。だがここで一つ確認しときたいことがある……。
 朝起きて気づいたら制服に着替えてて鞄の中も準備ができてるってのは、一般論からいくと俺が寝ぼけてて、ただ覚えてないだけ、だよな?
 本当に、そうだったら俺も苦労はしないんだろうけどな……。


「おい、有希?」
「……何」
「……なんで俺は制服姿なんだ? 」
「わたしが着替えさせた。……大丈夫。見てない」



 おい、それはどういう意味だ、と訊こうとしたが、やめた。これ以上訊いてもいわゆるナンセンスだろうからな。俺は有希に裸を見られた。あられもないところまで。それ以上でも無ければ、それ以下でもない。恥ずかしすぎる。なんかもう鬱だ……なんてな。でも、もういいのさ。俺の人生はある意味、昨日の朝のトイレでの出来事(1話参照)で終わったようなもんだ……。
 だからって、このまま有希を野ざらしにするのも、なんだか俺の身が危険のような気がするから一応、言っておく。


「……俺に確認取ってから行動してくれ……」
「……できるだけ、そうする」
「せめて、もう少し羞恥プレイを減らしてくれ」
「羞恥プレイって何?」
「あー、すまん。……何でもない」
「そう」



 一瞬本気で説明しようかと思い悩んだが、やっぱり却下。有希が狙ってやるようになったらそれこそ恐ろしいことになる。今はまだ天然だからな。可愛いもんだ。

そろそろ朝飯か?
「……誰か来る」


 ちなみにこの有希のセリフはインターフェースうんぬんの力のおかげじゃないからな。 俺にも分かったぞ。なんつったって妹のドタバタした、まるで漫画のような足音が聞こえてきたからだ。有希はササッと布団にもぐり、姿を隠した。ドアが勢い良く開かれる。
キョンくーん!ご飯だよー!」
「あぁ、今行く」



 ドタドタ、とまたもの凄い足音を立てながら一階に帰っていく妹。もうちょっと長門みたいに、静かにならないものか。



 一階に降りる。朝の時間帯は体が動かしにくいな。思わず足がほつれそうだ。そんなことを考えていた直後―――
 結果からいうと俺は助かった。
 俺は足を滑らせ、階段を上から下へと転がり落ちるところだった。しかし、有希が助けてくれた。階段の手すりととっさに掴んでいてくれた。



「ありがとな、有希」
「……いい」



 それにしてもよくほぼ俺の全体重をその小さな両手で支えきれたな。これはもちろん俺の心の声だ。こんなこと言ったら助けられた側としても、男としてもデリカシーが無いもんだと思われるからな。多分。



 あとは昨日のように朝食を取って、(妹にはバレなかった)トイレも済ませ、(今日は左手一本でいけた)鞄を持ち、自転車にまたがり、北高に向かって一直線だ。今日は包帯は持参している。ぬかりは無いつもりだ。

 北高に着いた。いつものように靴箱に靴を入れ、上履きを履く。その動作を実行している最中に、とある邪魔が入った。


「よう、キョン
よぉ、谷口、か。
「なんだよ。朝っぱらテンション低ぃなぁ。」
普通はこんなもんだ。

 谷口と最近のテレビのように極薄な談話をしながら、教室に入る。……あれ?ゴシゴシ、と目をこする。見間違いか?……見間違いだよな?一度教室を出て、クラスの札を確認する。
 ……確かに、1−5だ……。じゃああれは見間違いか?もう一度クラスを覗き見る。……確かに見間違いじゃない……あり得ねぇ……。


 俺の席の後ろにハルヒがいる。これはいつもどおりだ。だが……俺の席の隣が長門に変わってるのはなぜだ?


 有希が懐から話しかけてきた。
(あなたの隣……?)
(そうらしいな)
(……うらやましい)
(なんか言ったか?有希)
(……なんでも)
 まぁ、いい。とりあえず俺は足早と長門のもとへ駆けつけ、手を引いて教室を出た。いつしか、俺がハルヒに連れて来られたあの階段までひとっ走りする。



「おい、長門。なんで俺の教室にいたんだ」
「……極小規模の改変を行った。あの席だった人物が1−6に行きたがるように改変し、わたしが交代を申し出た。そしてその人物は快諾した」
 なんだかむちゃくちゃだな、おい。それにしても、なんでこんなことをしたんだ?
「……わたしの、わがまま」

 長門は少し気恥ずかしいというような感じでうつむいた。 それから、ゆっくりと顔を上げて、俺の顔を見た。


「……ごめんなさい」
 別にいいさ。そいつだってすぐに1−6に慣れるだろうさ。だから、お前も早く慣れろ。な?
「……」
 長門は俺に返事をよこす代わりに数ミリほど顔を縦に振った。


 じゃあ、行くか。そろそろ始業のベルも鳴るしな。
「……」
 長門はさっきと同じ返答をした。



 さっさと教室に戻ると、授業が始まった。隣を見る。長門がいる。長門はなんだか楽しそうな表情をしている気がする。1分近くも見ているのに『気がする』という言葉が外れないのは、俺の洞察力が足りないからだろうな。



 長門が俺の視線に気づく。しかし、俺は何事も無かったかのように長門を見る。俺は長門のその一挙一動を見ていた。なんだか小動物みたいで可愛い。気がつくと、長門も俺の顔をまじまじと見ていた。目が合う。俺は視線を逸らしてしまいそうになるが、もっと見ていたい、という欲求のほうが強かったようで、ずっと見つめあっていた。



「……痛ぇ!」
「あんた達、何見つめ合ってんのよ」



 ハルヒがシャーペンを俺の背中に突き刺してきた。こりゃ血が出たかもな……。だがそれ以上に俺が驚いたのは、ハルヒがコイツらしくないような話し方で話してきたことだ。擬音で表現するならコソコソ、か?とにかく、そんな感じだ。違和感ありまくりだ。



「……関係無い」
 長門がそれに反応する。長門もコソコソした話し方だ。
「ある。あたしはSOS団長だからありありよ」
「なぜ?」
「そりゃあ団員をキョンという魔の手から救い出すのも仕事じゃない」
おいおい、俺を魔の手扱いすんな。
「それは違う」
「何がよ」
「わたしは魔の手にずっと捕まえられていたい」
違うのはそっちかよ。
「ど、どういう意味よ」
「彼と一緒にいたい」
(わたしも)
 さりげなく右手からも聞こえてきた。可愛い奴め。
「……キョン、あんた放課後、死刑ね」
なんで死刑なんだよ……。
「……バカキョン



 最後にそう呟いたハルヒの顔は少し赤らみを含んでいて、 まるで幼馴染が照れ隠しで怒っているかのような―――そんな顔だった。




「お前、なんで照れてんだ?」
「し、知らないっ!」
「……」

 前を見ると授業の先生が俺らを見ていた。分かってる、邪魔するなって言いたいんだろ?俺だって不本意さ。

 その後、俺は長門ばっかり見つつ、有希が勉強をさりげなくサポートしてくれたり、後ろからのハルヒの奇襲が数回あったが、それなりに授業をこなしていった。
 そして、昼休み。
 俺はせっかくだから部室で長門とさりげなく二人きりで昼飯でも食うか、と考えていた。まぁ、有希も一緒だがな。


「なぁ長門。一緒に昼飯食わないか?」
「……いい」
 有希も、いいよな?
「……いい」
 同じ反応をブレザーの内側から返す有希。二人ともどことなく嬉しそうに見えるのは気のせいではないはずだ。
 さて、部室に行くか。俺はここであることに注意しておくべきだった。部室へ向かうと、すでに我等がSOS団団長はそこにいた。


「あらぁ、あんた達、遅かったわねぇ」
 なんと、ハルヒに聞かれていたのだ。ハルヒはあの時いつものように教室を飛び出していたハズ。となれば、教室の外で聞き耳立てて聞いていたというのか?なんて奴だ。しかも口の周りにはご飯粒がついているあたり、ダッシュで食堂に行って急いで飯を食って、ここへ先回りをしたことだろう。それにしてもなんて執念だ。さっきまでの俺と長門と有希のほんわかムードをぶち壊しやがって。


「そういえばあんた、右手使えないんだっけ?」
「あぁ、そうだが……」
「あたしが食べさせてあげるわ」
「いや、いい」
 こいつに何かさせたら9割9分ほどの確立で俺か朝比奈さんに精神的又は肉体的ダメージを被ることになる。できるなら回避したいもんだ。
「団員の世話も団長の仕事なんだから!遠慮するんじゃないわよ!」
「遠慮とかそういうものじゃないんだが……」
「うるさいわね……あ、弁当箱はこれね!」
 ハルヒめ、勝手に俺の弁当箱を奪い取って開けやがった。
「……おいしそう……」
「おい、勝手に俺の弁当食うなよ?」
「介護料として一つ貰うわ!」
うぉぁあ!それは俺の大好きなおかずベストスリーには確実に入るという玉子焼き!
「むぐんぐ……おいしいわね……」
 俺の落胆も見ず知らず、ハルヒは純粋に関心しているようだった。長門に助けを借りよう。俺は「助けてくれ」という念を込めまくった熱視線を長門に送った。数秒後、やっとのことで気づいてくれた。



「彼は嫌がっている。わたしが食べさせる」
「あたしがやるの!」
 長門が弁当箱を手に取ろうとしたが、ハルヒが取り返す。
「はい、あーん」
 俺は黙って口を開ける。ハムだ。あぁ、うまそうだ。んぐ、うん、うまい。もしかしたらこれってハルヒと間接キスじゃねぇか?いや、気のせいか。
「あーんって言いなさいよ!セオリーがなってないわね!食べさせてやんないわよ!」
「……長門、頼む」
「いい」
「さ、さっきのは言葉の"あや"よ!」
長門は俺の弁当箱を取り返し、俺の口へとから揚げを運ぶ。
ちなみにから揚げもベストスリーに入る。
「……」
「あーん……うん、うまい。ご飯も頼む」
「……」
 長門の首肯。


 こんな感じでしばらく隣でわめくハルヒを軽く無視しつつ、食べすすめていった。
 最後の一口。俺の昼飯のラストを飾るのは玉子焼き。実は玉子焼きはおかずとしてもうまいが、デザートとしてもうまい。この甘さは絶品というに他ならない。
 と、いうわけで玉子焼きが今、俺の口の中へ―――



 ……ハルヒめ。俺が噛み付いた瞬間に逆側から噛み付きやがって。半分しか食えなかった。一見するとポッキーゲームの玉子焼き版か。唇が触れ合ってしまったような気がしたが、やっぱり気のせいだろう。あの柔らかさは玉子焼きだ。そうに決まってる……そうと信じたい……。



 長門がちょっと怒りかけている……のか?逆に無表情なのが恐いな。長門が俺の耳元で囁く。
「……汚れている」
 すると、長門は俺の口をハンカチで拭いた。ハルヒが見ている。怒ってんのか?とにかくわなわなしている。
「……」
「……もしかして、さっきの唇があた」
「汚れたから」
「……」
「……バカキョン……」
 と、ハルヒ言うや否や、部室を出て行ってしまった。いったいあいつはどうしてしまったんだ?朝から様子がおかしい気がするが……。まぁ、いい。ハルヒの心情はハルヒ自身にしか分からないだろうからな。ましてや心情分析家でもなんでもないような雑用係に分かるものか。



「あと、長門……」
「……」
怒ってるのか?
「……怒ってはいない」
「……そうか。まぁ、早いとこ機嫌治せよ」
「……」



 それだけの会話の後、長門は弁当を食べ始めた。そういえば、有希もまだだったな。実は、有希用に俺は少し小さい弁当箱を持ってきていた。こっちは無事だ。ハルヒの毒牙にかかっていない。



「有希、出てきていいぞ」
「……」
 黙って包帯を取り外す。ほら、弁当。
「……わたしの?」
 そうだ。



 嬉しそうな表情を見せてくれた有希。おいしそうに弁当をほおばる。

 ………二人とももう食べ終わったようだ。そろそろベルが鳴るな。教室に帰ろうぜ。
「「……」」
 二人そろって三点リーダを膨大な量垂れ流しつつ首を縦に振る。まったく、ここまで一緒だと双子みたいだな。いや、長門と有希の場合はそれ以上か。同一人物だからな。


 さて。
 また有希を包帯グルグルにして長門と一緒に教室に向かう。長門はどこか嬉しそうだ。たぶん。どうやら何時の間にか機嫌を治したようだ。


 長門、何がそんなに嬉しいんだ?
「……あなたと一緒」
「……そうか」


 さっき急に出て行ったハルヒが少し気になるが、まぁ、いい。俺は今、この幸せな気分を長門と有希と一緒に分かち合うさ。



第5話『恋のスクランブル』〜終〜

キョン「次回予告!
  SOS団部室はとうとう地獄と化す!?」
長門「……わたしがさせない」
キョン「原因は誰だよ……。」
長門「屁のつっぱりは……いらない」
キョン「なんだかよく分からんがとにかく凄い自信だ!」
長門「第6話『愛の証明』」
キョン「乞うご期待!」