最終話『愛の果てに』前編
「なぁハルヒ」
「何よ」
「4年前、何してた?」
「……」
「俺と初めて会った時のこと、覚えてるか?」
「……」
ハルヒが俺の右手になってから3日目の朝。今日は土曜日だ。色々やりたいこともあったので俺の権限で不思議探索は中止にした。そして今からハルヒを元の姿に戻してやろうと思う。昨日、方法を思いついたのだ。俺は妙に冴えていた。
……はい、回想モードオン。
朝っぱらからハルヒの騒がしい声に嫌気を感じつつもこれはこれでいいかもな……なんて考えちまったことについて俺は心の底から長門に猛省している。……いや、この光景はおかしいだろう。
「お前、何やってんだ?」
「何って……愛妻弁当よ」
ハルヒはいわゆる裸エプロンという、いかにも俺の理性を揺るがすためにやっているかのような格好だ。お前は俺に何をさせたいんだ……って、またもや猛省。すまん、長門……。嬉しそうに料理をしているハルヒ。どうやら弁当を作ってるらしい。愛妻ってのは気に食わんが……。
「はいっ!出来上がりぃっ!」
「お、おぉ?」
ハルヒが目の前に出した弁当は、そりゃあもう反則的なくらいにうまそうだったさ。ほかほかジューシィコンガリ唐揚げ。甘そうな匂いと黄色と白のコントラストが目を引く玉子焼き。様々な材料をかき集めて作ったらしい色鮮やかな炒飯。他はコロッケ、サラダ、シューマイ。と、いうか炒飯の上に敷いてあるハムはなんだ?
「ハートよ、はぁと」
これがハート……か。歪んだ愛だな。
「うるっさいわねぇ……ちょっと失敗しちゃったのよ」
それはハートというより五角形のハムだ。
弁当の準備も終わり、さらには朝食まで済ませた俺たちは学校へと向かう。その道中はずっとハルヒのノロケ話を聞かされまくった。おかげで俺は恥ずかしがりっぱなしだ。俺はノロケられるほど立派じゃねぇって。
学校へ着く。今日ほど早く学校に着けと思った日は無いな。
「よぉ、長門」
「……」
黙ってうなづく長門。あぁ、すまん。マジで。心の中で必死に謝る。その冷ややかな目が俺の心にグサリときます。
席に着いてもその目を保ったまま俺の顔を覗いてくるのに耐えかねて、そろそろ泣きそうになり目の前が潤んできたところで長門は止めてくれた。頭を撫でてくれるのか。優しいな。その優しさをあと数秒手前で発揮して欲しかったぜ。
一時限目が始まる。授業なんかどうせ内容なんか聞いても分からんから思考をする時間にする。それに、ハルヒが勝手にノート取ってくれるしな。
……そういえばハルヒの記憶の中では俺と長門の関係はどうなってるんだ?やっぱり恋人か?それともただの団員その2か?そもそもどうやって確認する?直接訊くなんてもってのほかだ。どうにかして遠まわしに訊かねば。……そうだ。あの事件のことを訊けばいいんじゃないか?
「なぁハルヒ」
「なぁに?」
もちろん周りには聞こえないように小声で話しかける。
「俺さ、先週まで何してたっけ?」
「あんた忘れたの?……先週はねぇ……何したっけ?」
あぁもう。こりゃ重症だ。なんて都合の良いようになってんだ、こいつの頭は。
「あれ?なにしてたっけ?」
「もう……いい」
だめだこりゃ。と、いうことは長門と俺の関係なんか知らないわけだ。まず一つ目の疑問は晴れた。
じゃあ、次。ハルヒと俺はどんな関係なのか。朝から愛妻弁当なるものを作ってくるくらいだから大抵は想像出来るがな……。
「ところで……お前、俺のことどう思ってる?」
いきなり核心をつく問いかけはマズかったか?
「……あんた、毎日のように言い合ってる言葉、忘れたの?頭大丈夫?」
少なくともお前には言われたくねぇ。
「……なんだっけ?」
「もう……"好き"よ……キョン」
そこまで顔を真っ赤にしなくてもいいのにな。それを聞いてるこっちが恥ずかしいぜ……。ともかくだな、俺とハルヒが好きと毎日のように言い合う関係だということは分かった。あくまでこいつの脳内妄想的な記憶では、だがな。
もう質問は終わりだ。これ以上質問しても「忘れた」くらいで済ませられそうだからな。
授業中はずっと寝ていた。昼休み。長門に起こされて、一瞬寝ぼけて抱きつこうかとしたが右手が視界に入り今の状況を思い出した。危ない危ない。
部室で飯を食う。ハルヒと二人きりだ。これが二人きりと言えるかどうかは知らんがな。
「……うまいな」
思わず感嘆の言葉を洩らしてしまう。それくらいうまかったのだ。
「でしょ?愛情のスパイスの効力を思い知りなさい!」
「……愛情、か……」
「そうよ。あんたへの……ね」
小さいながらも頑張ってくれるな、ハルヒも。……俺は状況適応能力が高すぎるのか?もうハルヒの言動に驚くことが少なくなった。……なぜだ?この違和感の無さは。
昼飯を食べ終わり教室へ戻ると長門は俺をジトっとした目で見てきた。そして俺の耳元で、
「わたしも食べたかった」
と囁いた。これは明らかに嫌味だ……すまん……長門……。
それからの授業は何事もなく終わり、俺の足は自然とある場所へと向かう。もちろんSOS団の部室だ。あそこでお茶でも啜りながらハルヒ対策に耽るとするか。ドアノックは欠かさずにする。ある意味日課みたいなもんだからな。
「はぁ〜い」
中に居る人からの甘い声。部室に入る。
「みんな、来てるか?」
「遅かったですね」
古泉が話しかけてくるのを無視しつつ、堂々と団長席に座る。やっぱ眺め良いな。長門と古泉がいる。あとは……あぁ、あの人が居たな。
俺は左手で頬にひじを突き、ぼぉ〜っと周りを見渡しながら思考を深める。
はぁ、どうしたものか。……まずこいつの記憶を取り戻させるのが一番手っ取り早い方法だよな。でもその方法が見つからない。……長門が以前暴走してハルヒの力を掠め取り、世界を改変させちまった時。有希の時じゃないぞ。長門の時だ。あの時は確か……改変されたのは365日の範囲って言ってたよな。今回は状況が違い、改変されたのはハルヒの記憶だけだ。この場合は365日の範囲内じゃないかも知れないな。でもさすがに4年前の七夕――――俺と……じゃなくてジョン・スミスとハルヒが出会った日までは改変出来てないんじゃないか?だがあいつは言った。生まれた時から一緒だったと。でも、あの七夕のあの事件だけは、あいつにとって忘れちゃならない、そして絶対に覚えておかなきゃならない事件だと思うんだ。
あれは―――あれだけは――――今のアイツがアイツである要因のような気がするんだ。いや、これは"気がする"じゃないな。確実なことだ。アイツがアイツであるためにはあの事件は脳の片隅にでもいいから残しておくべきだ。だから、アイツの脳の片隅に眠ってるそれを起こしてやれば、あるいは元に戻るんじゃないだろうか。
が、しかし。いかんせんその方法とやらが思いつかん。俺はどうすりゃいい?
朝比奈さんに頼んで過去まで連れて行ってもらうか?
長門に頼んで時空軌道修正プログラムを組んでもらうか?
古泉に頼んで機関やらなんやらで記憶を取り戻す機械でも作ってもらうか?
……だがハルヒはここにいるのだ。それに俺は最初に決心したはずだ。俺一人で解決しなきゃなんねぇ、って。だから、誰の力も借りちゃいけないんだ。未来人、宇宙人、超能力者達の力をも。
……今のハルヒの記憶はいわば夢を見ているようなもんだと思う。その夢から覚ますには……ってまた堂々巡りしてるだけじゃねぇか。どうすりゃいいんだ。
俺が一人で熱くなっているところに、……あ、朝比奈さんがお茶を入れてくれる。……さっきまで名前忘れててすいませんでした。
「お茶、どうぞ」
「ありがとうございます」
冷たい。冬なのに。これは俺に頭を冷やせって事か?まさか嫌がらせって事は無いだろう。
「冷たい……ですね」
「落ち着いてみたらどうでしょうか?」
やっぱりそういう意味か。
「……そうですね」
「一人で考え込むのはあまり良いことじゃないですよ?」
「そうですよね……でも今回ばかりは……」
「分かってます……でも、少しくらいは頼ってくださいね?」
「……えぇ。そうさせてもらいます」
俺の懐のハルヒは何を喋っているんだ、と言いたそうな顔だ。コイツに話が分かるわけが無い。
「本……読んで」
長門が差し出してきたのはやはりゴシック体が目に新しいハードカバーの分厚い本だ。ヒント……か?
「今、読んで」
「あぁ……分かった」
俺はおそるおそる栞を探す。あった。ハルヒに見えないように栞に書いてある文字を読み取る。
『夜7時にいつもの公園で』
ふむ。これは助け舟だろうな。やっぱり俺はまた長門に助けられるのか?……どうする、俺。
……この助け舟は自ら沈めることにする。栞に『すまん。助けはいらない。』と書く。左手だからよれよれの文字だ。その栞を本に挟む。
「長門、やっぱいい。この本は俺に合わなさそうだ」
「……そう」
長門は本を手に取り、栞を読む。俺を見る。俺はうなづく。長門もうなづく。以心伝心。これでいいのだ。
……しかし、俺も偉くなったもんだ。自分のプライドのために助け舟を自ら沈めるなんてな。でも、自分でやらないといけない気がするんだ。すまん、長門。
さて。
かといって俺は何かアイデアが出たかと問われれば、無いと答えざるを得ないだろう。アイデアなんてものは出ろ出ろと思って切羽詰まっていると出ないものだ。が、しかし。今の俺には休む暇なんてないんだ。
「……そ、そうだ!」
俺は思わず声に出して立ち上がってしまった。おかげで椅子が後ろの壁にぶち当たってそれなりの音を出してしまったようだ。皆が振り向く。ハルヒ以外は良くやった、というような目で俺を見ている。
「す……すまん、なんでもない」
俺はおずおずとまた椅子に座る。だが、今はチャンスじゃない。チャンスってのは待つべきして来るものだ。明日の朝。少なくともそれまで待つんだ。
その後は何事もなく終わる。とうとう朝が来る。
……ここまでが回想か。今から俺はやる。俺は……俺の、ジョン・スミスの力を信じる。
あー、まずはハルヒを起こそう。
「おい、起きろ」
「……ふぁ〜あ、おはよ」
「あぁ……実は話があるんだ」
「……?」
「なぁハルヒ」
「何よ」
「4年前、何してた?」
「……」
「俺と初めて会った時のこと、覚えてるか?」
「……」
無言か。ハルヒは何か考え込んでいる。
「あたし……怖い……」
「あぁ……」
実はハルヒがこうくることはお見通しだ。何も思い出せなくて怖くなってくるのは誰でもそうだろう。
「俺が……思い出させてやるよ」
「え……?」
ハルヒは息を呑む。そう。俺は思い出させるために思い出の場所に連れて行こう、と考えたのだ。いわば思い出巡り。簡単なことだが、これでも苦肉の策だ。許せ。
「出かけるぞ」
「う、うん……」
ハルヒはどこか挙動不審だ、というか不安でいっぱいのようだ。そりゃそうだろうよ。俺も同じ立場だとしたらそうなるさ。自分の記憶を疑うなんてな。長門が暴走して世界を改変した時は俺も疑った。でも俺の場合は元に戻せた。それは長門や朝比奈さんのおかげだ。
今回は俺がお前を助ける番だ。なんてったってお前は……俺等の"大切な"団長様だからな。そして俺はお前に絶対服従なんだ。嫌々ながらな……ハハ。
まずは……俺とお前が出会った場所。1−5のあの席だ。俺は部室でわんさかしている学校に忍び込み、1−5のクラスへと入る。
「お前はここでまさに電波な発言をしたんだよな」
「してないわ」
「……そうか」
どうやらここはカバーされてるっぽいな。これは俺とハルヒの出会いとしてはあまり記憶に残されてないみたいだな。
次。俺がジョン・スミスとしてハルヒに会った場所に連れて行くか。自転車で一っ走り、すぐに着いた。俺には見慣れない中学。
「ここ……あたしの中学……頭、痛い……」
「俺の中学はここじゃなかったぞ」
「じゃあ……あたしの記憶は……痛っ」
ハルヒは頭を抱えている。脳が記憶を取り戻すことを拒否しているのか?それともハルヒの力がそうさせているのか?
ハルヒは困惑している。どうしようもないくらいに。
「思い出すんだ。俺は元のお前に会いたい」
くぅ、言っちまった。実はこのセリフは昨日の晩から懐に暖めてたセリフである。くさい、くさすぎて泣きそうだ。
「……ねぇ、元のあたしってどんなの?」
「そうだな……俺を引っ張っていってくれるような団長だ」
「……そ、う」
ハルヒの周辺の空間に電気のようなものがピシリと走る。
「あたしは……あたしは……そう、SOS団団長の……涼宮ハルヒ……」
「俺はそのSOS団団員その1だな」
「そう、キョン……あんた……」
お前、何を言う気だ―――?
さっきの電気みたいな空間の亀裂が俺の右手―――ハルヒの周りに走る。まるで音を立てて壊れているみたいだ。と、同時にまた元に戻る。まさに一瞬過ぎて、何が起こったか自分でもよく分からん。
だが、違うことがひとつだけ、あった。
目の前にハルヒがいる。
もちろん足はある。というかお前、パンツ見え……
「ば、バカッ!見るんじゃないわよこのエロキョン!」
どうやらハルヒはやっぱりこの世界を選んだようだ。良かった。こんなベタな方法で記憶を取り戻してくれて。さて。この事態に収拾をつけねばな。
「ハルヒ、お前この3日間ほどの記憶はあるか?」
「……わかんない」
「そうか」
「……でも、記憶っていうか、夢、見てたのかな……」
?!もしかして覚えてるのか?
「キョンがねぇ……」
おい、なんでそんなにニヤニヤしてんだ!
「いや、なんでもないわ。やっぱりあたしの夢。きっとそうよ」
「……あぁ、そう、だろうな」
そういうことにしといてくれ。
「だって、あたしがあんたの右手になるなんて、有り得ないわよね」
「……あるはずないじゃないか、夢だろ」
……キッチリ覚えていやがる。
さて。
こうしてハルヒが元に戻り、平和な世界になりました、めでたしめでたし。
……って終わるわけないじゃないか。
その夜、長門やら古泉やら朝比奈さんから電話がかかってきた。内容はみんな揃って「よくやった」とのことだ。長門には明日の予定も話しておいた。
次の日。
俺は日曜日の特性を最大限に生かし、長門を水族館へと連れて行くことにした。もちろんその最大の理由は機嫌を取ること……か?ついでに俺も疲れた心と体を長門に癒して欲しい、などとうつつをぬかすってのは許されるよな?いや、癒してもらうってのは性的な意味で、じゃないぞ?……できれば、そうしてほしいという気持ちもあるんだが……。……今日は、純粋に長門とデートしよう、という気持ちのほうが勝るわけであって。しかも思い出せば「しばらくさせてあげない」とか言われてたしな。……ハルヒめ。
今日は水族館で集合にした。けっこう近いしな。お、長門だ。
「よぉ、有希」
「……」
長門はいつぞやのように真っ白なワンピース。本当に似合うな、それ。
「……ありがとう」
なんか長門から礼を言われるのには相変わらず慣れないな。
「じゃあ、入るか」
「……」
長門はうなづく。もはやこの動作も見慣れたものだ。俺の腕に抱きついてくるのはもちろん長門。それ以外に誰がいるってんだ。でもこんなに長門って胸大きかったっけ……
……ってハルヒ?!
「やーねぇ、あんたたち。楽しそうなことしてるじゃな〜い」
おいおい、邪魔してくれる気か?
「邪魔しないで」
「……そうね、あんた達、恋人同士だもんね……」
「お、おい、ハルヒ……」
「ん、じゃあね!お幸せに、二人とも!」
「……」
うなづく長門を横目に俺はどうすればいいのか分からず、ただ突っ立っているだけだ。ハルヒは走ってどこかに行ってしまう。その目には光るものが見えた。俺は追いかけることも出来やしない。いや、追いかけないほうがいいのか?
「有希……じゃあ、入るか」
「……」
今度は長門が抱きついてくる。これじゃあ立派なバカップルだな。民衆達よ、見せつけてすまん。
それにしても魚ってのは結構奥が深いもんだな。今まで寿司とかで食ってる魚なんてのは全ての種類のほんの一握りだ。寿司なだけに。
長門も感心しつつ見てるようだ。俺はそれが見れただけでも連れて来て良かったと心の奥底から思っている。
「……さかな」
ん?
「あなたはわたしばかり見ている。もっと魚を見るべき」
あ、あぁ……。
どうやら俺は長門にばかり気を取られて魚を全然見ずに長門ばかり見てたようだ。……仕方ないことだよな、これは。
結局の所、俺は魚も満足に見れず帰ってきたわけだ。長門の家に。また晩飯でもご馳走させる気か?……カレータワーの悲劇はもう嫌だぞ?
「どうぞ」
運ばれてきたのは普通のカレー。何か特別なのか?
「……何も」
俺はとりあえず長門を信用してカレーを口へと運ぶ。
「……うまいな」
「そう」
ものすごくおいしいのはもうご愛嬌。どうやら、今回は怪しいものは何も入ってな……い?
……か、体の自由がきかん……。
「わたし特製ナノマシン入りカレー……」
なっ?!どういうことだ?!
「あなたの体はわたしの思うがまま」
……何をする気だ?
とりあえず殺すやら痛めつけるとかそういうのはないだろう。今の長門は優しいような表情をしているから分かる。……って有希?なにやってん……だ?!
長門は俺のズボンに手をかける。
「……しばらくこーいうのはさせないんじゃなかったのか?」
「そう」
「……矛盾してないか?」
「だから……わたしがする」
はぁ?……や、ヤバいぞ、これは。とにかく体が火照って熱い。早く治してくれ―――
「……まずは……キスから」
「ん…ふ………むぅ……ちゅ」
「……はぁ、いきなり舌入れるなんて」
「次は……ここにキスして」
長門が服を脱ぐ。全裸……。
俺の体が勝手に動く。
「……気持ち……いい……」
「こう、か?」
舌を押し出す。
「そ、う……もっと……奥まで……」
さて。
またもや空白の時間を作ってしまうわけだが、これは俺の故意であってだな?とにかく勘弁してくれってことだ。いやいや、こんなアツいエピソードを語ることなんか出来ない。出来るハズが無い。
そしてただ今の時刻は午前6時だ。俺は自然と目を覚ます。長門がもう朝食の準備をしていた。エプロンを着けたその姿は、なぜか俺の理性をいとも簡単に崩壊させてしまったようだ。後ろから抱きつく。
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
「今は……あぶない」
「今がいいんだ」
「……あまえんぼさん」
首だけを後ろに向かせてキスをする。
「続きはまたあとで」
「続き、すんのか?」
「したい……だめ?」
「……いいに決まってるじゃないか」
……で、そんなこんなで長門といちゃいちゃする毎日が続きながらも一気に時間軸は飛ぶわけだ。今は3年生の冬の3月。
高校生生活、最後の冬だ。そろそろ春かもな。
「うぅ……さむっ」
誰もいないSOS団の部室。時期的にそろそろ暖かくなってきても良い頃合なのに、いまだに息が白いのはどういうことだ。またハルヒの仕業か?
「それは無いでしょう」
古泉だ。いつの間に来た?
「今さっきですよ」
……ハルヒの仕業じゃない、というのはなんで分かるんだ?
「なぜなら彼女の能力はほとんど消えてしまったからです」
どうしてそれが分かるんだ?
「あなたも薄々ながら感づいているハズです。ここ1年を思い出してください」
3年になってからの出来事――――か。
春。
朝比奈さんがいなくなり、すこし寂しくなったが土曜の不思議探索には来てくれた。そういや新入生を相手に1人1人を、宇宙人・未来人・超能力者がいないかをチェックしたな。でもいなかった。
ゴールデンウィーク。
お化けが出るという屋敷に行った時は何にも無し。物音一つしなかった。
夏休み。
時間がループするなんて現象は見られず、(長門がそう言ってた)機関プレゼンツの4泊5日アメリカUFO探索の時も何も無かった。新川さんが宇宙人のコスプレをして出てきたのにはさすがに驚いたけどな。宿題も普通に終わらせた。
文化祭。
映画を作る段階でハルヒの仕業で古泉の能力が普通に使えるようになってたな。それのおかげで迫力ある映画が撮れたって満足してたし、まぁいいか。ライブもやった。俺と古泉も加わって。ハルヒがやればいいのになぜか俺はボーカルをやらされ、一部の人から文句を言われまくったが(主に谷口、内容は嫉妬)全体的には良い感じで終わってよかった。
アイドル研究部との決闘。
どちらがハルヒに似合う衣装を作れるか、ということだったが長門がその力を遺憾なく発揮して楽に勝った。その賞品のおかげでハルヒと長門の衣装が大量に手に入ったな。……長門&ハルヒのネコ耳網タイツは一生もんです。ありがとうアイ研。
クリスマス。
長門が俺と二人っきりで過ごしたいなんて、まさに俺の理性を崩すためとしか思えん言動を吐いたので、二人っきりでちゅっちゅしたりぎゅっぎゅしたりびゅっびゅしたりした。(最後のは気にするな)
正月。
SOS団年越しライブをやったりした。ライブハウスにまで押しかけるその根性が凄かった。正直着いていけん。俺は喉が枯れてしまうほど歌い、長門に治してもらった。古泉が素っ裸になって警察に連れて行かれた。あの日からこいつは前科持ちだ。
2月。
大学受験やらなんやらで勉強しまくった。勉強会も開いた。みんなは頭が良くてうらやましいぜ。
今月。
まだ何もしていない……だが、そろそろ高校を卒業してしまう。大学はみんな決めたらしい。俺と長門とハルヒは同じ大学。古泉は……違うらしい。
……って、この一年でハルヒの力が使われたのは一回だけか?!
「そうです。これはもはや無くなった、または衰えたといっても良いでしょう」
なんだか嫌な予感がする。
「……もしかして、お前、ハルヒの力が無くなったら消えるなんて言い出さないだろうな」
「まさか……と、言いたいところですがお察しの通りです」
「閉鎖空間も無いのか?」
「そうです。久々に超能力を使ってみたいものです」
「日頃から使えるんじゃなかったのか?」
「いいえ、先日使えなくなっていました」
「じゃあ機関はどうなったんだ?」
「必然的に無くなるでしょうね」
俺は考える。機関のせいでここにいたとすると……どうなるかを。
「……だからお前は違う大学に決めた、なんて曖昧な返答をよこしたわけか」
「そうです。鋭いですね」
「なんでだ?」
「"上"からのお達しです。逆らえません」
「……そうか」
「まぁ、日本内のどこかに飛ばされるらしいのですが、それならまだメールも届きそうですね」
「そうだが……」
「最後に一つお願いがあります……」
「なんだ?」
「僕と……僕と……ホモセッ」
「ごっめーん!遅れちゃったー!」
おぉ、やっと来たかハルヒ。
「何よ、そんなにあたしを待ちくたびれてたの?」
「さぁ……な」
古泉は言葉を遮られ、そのショックで部室の端っこで「マッガーレ…」とか呟いてる。おいおい、大丈夫か?
「ところで有希はどうしたの?あんた、恋人でしょ。どこにいるか知ってるでしょ」
俺と長門の関係はハルヒの手によってみんなに暴露され、もはや公認カップルになりつつある。うむ、よくやった……のか?
「……知らん」
「……ねぇ、たまにはあたしと突き合わない?」
「……付き合わねぇよ」
っていうか……おいハルヒ、漢字変換ミスしてるぞ。
そしてハルヒは俺へのアプローチ(?)は止めない。こいつも未練たらたらしいやつだな。いい加減諦めろ。……まぁ諦めたら諦めたでいろいろあるんだろうけどな。
それにしてもみんな結構成長したものである。今やみんな18歳だ。顔立ちには幼さがほぼ完全に消えつつある。
誰かが静かに部屋に入ってくる。長門だ。
「よぉ、有希」
公認なのでこんなところでも名前で呼んじゃったりするのだ。
「……キョン」
うなづいた後、俺の名前を呼び、見つめ合う。
こんな時はいつも大抵ハルヒがうるさいのだが……今日は……静かだ。
「そろそろ……卒業、ね」
俺達を見ながら感傷に浸っているのか。鑑賞なだけに。
ハルヒは部室を歩いて出て行く。どこへ行くのだろうか。
……あいつにも落ち着きってもんが見られる今は、ハルヒがどこかへ行くことで何かあるってわけでもなさそうだ。心配することは無い。
「なぁ、有希」
「なに」
「お前は消えてしまったりしないよな?」
「……」
長門はうつむく。……おい、まさか……お前も……?
「……先ほど、情報統合思念体と交信してきた」
「……」
「その結果は『わたしを元の情報へと帰化させる』とのこと」
「な……なんでだよっ?!」
「涼宮ハルヒの観察はまもなく終了する……分かって………」
涙声の長門を俺は抱きしめずにはいられなかった。
「あったかい……でも……これが……最後……」
「おい、長門!」
これが最後なんて、嫌だ。絶対に嫌だ。
そんな俺の祈りは届かない。一瞬で消えてしまった。
古泉は……いつの間にかどこかへ行ってしまっているようだ。ついさっき、10数分前までの静寂が戻る。
俺はその静寂に耐え切れず、声を張り上げる。
「おいっ!思念体とやら!聞こえてんだろ?!聞こえてたら返事しろ!」
返事は……無い。あるはずが無い。そもそも思念体が聞いているという確証などどこにも無い。
そう、無い。
無くなってしまった。何もかも。
俺の腕にわずかに残っていた長門の体温も、消え去りつつある。
気付けば泣いていた。泣くことしか出来ない俺を誰が責められようか。俺は……何の能力も持たない、単なる一介の男子高校生だ。その事実が俺に向かって突き付けられる。何も出来ない。探しても見つからない。
後方のドアが開く。
「あんた……なんで泣いてんの?」
ハルヒだ。
「……なんでも……な、い」
畜生、涙が止まらない。
「何でもなくて、泣くはずないでしょーが」
それだけ言うと、ハルヒは俺の頭を優しく抱きかかえた。
「今日は……特別よ。胸、貸すわ」
う……うぅぅ……うあああぁぁぁっ!
号泣した。ハルヒの胸の中で。そうしてしばらく泣いていると落ち着いてきた。ありがとうな、ハルヒ。
「もう、落ち着いたみたいね」
「あぁ……おかげ様でな」
ハルヒは溜息を一つ吐き、俺に質問を投げかける。
「で、なんであんた泣いてたの?」
それは……とまで言いかけて言葉を詰まらせる。何を話せばいいのか分からん。ぼかして話すと……こうなるんだろうな。
「長門が……いなくなった」
「じゃあ追いかければ?」
「……無理なんだ」
「なんで?」
「詳しくは説明出来ないが……もう会えないんだ」
「……」
無言。ハルヒは何かを考え込んでいた。俺にはその内容など、分かるはずも無く。ただただ、次の言葉を待つだけだ。
「……そう」
返ってきたのは昔の長門を思い出させるような感情の籠もっていない……いや、違う。
……籠もっている。感情が、確かに。
それは、悲しみ。
俺は「あぁ」と有り来たりな生返事を返す。
「……寂しくなるわね」
ハルヒにとっても長門は"ただの友達"ではなかった。少なくとも俺の目には親友と呼び合うような関係だったと思う。俺はその一言により『長門が消えた』という事実を再認識させられた。泣きそうだ。思わず目頭が熱くなる。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「……泣いても……いい?」
「……あぁ」
……俺に訊いた時にはすでに泣いてるじゃないか。それに俺が駄目だ、と言っても泣いちまうんだろ……?……それなら俺が胸を貸してやるさ。まぁ、さっきの貸し……みたいなもんか。
「ひっく……ひっく……ふぇぇ……うわぁぁあああん!」
まったく豪快な泣き方だな。……あぁ、さっきの俺もか。より一層の力を腕に加える。
……なんでだろう?今、ハルヒを離したくない。
愛しく感じる。物凄く。
……長門が居なくなったからハルヒに感情が移ったってか?は、馬鹿じゃねぇのか、俺は!ハルヒに劣情を抱いてしまったことを激しく悔やむ。俺は口を開く。ある事を訊くために。
「なぁハルヒ」
「……ひっく、ひっく……ふぇ?」
どうやら泣き止んだようだが嗚咽がまだ止まってないらしい。
「ん……何?」
止まったようだ。俺は言葉を続ける。
「お前さ、今でも宇宙人って居ると思うか?」
ハルヒはしばらく考え込み、顔を上げ、俺を見て発言する。
「いないと思うわ」
俺はショックを受けた。たぶんハルヒの思考の移り変わり、即ち大人になったということが長門がいなくなったことの原因だろう。古泉も然りだ。朝比奈さんもだ。そのうち宇宙人だけでなく、超能力者や未来人とも会えなくなるだろうと俺は推測する。だが、その根本から消すってのはなかなか出来ないことだろう。……と思ったが、よく考えると朝比奈さんも未来に帰る事になるだろうし、古泉も機関が消滅すると同時にどこか遠くへ飛ばされる。それに、古泉は今やただの笑顔が眩しい男子生徒だ。超能力が使えんしな。長門も能力を失うだけなら良かったのに、なんて考えるのは真に自分勝手なことなんだろうな。長門にも帰るところはあるだろう。ただし、元の情報へと帰すらしいが。
……?!待てよ……。おかしいぞ!?朝比奈さんは自分の世界に戻れる。古泉も能力は無くしたが普通の日常を取り戻す。それらは少なくとも喜べることでもあるはずだ。
だが、長門は……?
消されるだけ……か……?
……そんなことは有り得やしねぇ。
なぜなら……俺の知っているハルヒはそんなことを"望む"わけないからだ。
ハルヒの力が無くなったのは自らでそれを望んだからであって、それによって長門が消滅してしまうなんて事態にはならないはずだ。絶対に。なぜ俺が絶対になんて言い切れるかというと……さっきのハルヒを見ていれば分かる。
……だったら、長門が元の情報へと帰したのはどういうことだ?元の情報?……もしかしたら元となる人間がいたんじゃないか?長門も完全に無から創り出されたわけじゃなさそうだ。つまりだな。……長門は"人間に戻った"ってことだ。俺の仮説が正しければ、な。
「ハルヒ」
「何?」
「行かなきゃならないところがあるんだ」
「……ふぅん」
「あぁ、じゃあな」
ハルヒを静かに手放す。支えを失ったハルヒはそのまま床にぺたんと座り込む。そして、口を開く。
「あんたはいなくなったりしないわよね?」
俺は驚く。そのセリフはさっき俺が長門に対して吐いたセリフだ。もちろん返事は返してやったさ。
「あぁ」
これで十分だ。じゃあな、ハルヒ。気を付けて帰れよ。
「うん……じゃあね」
俺は部室を出て、靴を履く。
目的地?そんなの決まってるさ。
俺と長門で一番思い出深かった場所――――
そう。
あの公園。
俺が長門に"好きだ"と言ったのはあの公園の横の道だ。有希が造った世界に飛ばされたのもあの場所からだし、帰ってきたのもあそこだ。そのあとデートする際にはあそこで、なんてのも多かった。
そして何より――――
――――最初に長門が俺を呼び出した場所だからだ。
あの日、長門への認識が変わった。無口な文芸少女ではなく、電波なことを喋りだす変なヤツに。そのうち、俺の中のアイツはどんどん変わっていったんだ。
――宇宙人製インターフェイス―――頼れるお助け役――
―――そして――――
―――――恋人――――
着いた。長門は……もちろんいた。俺の仮説は合っていたのだ。心の底から歓喜の憂いに酔いしれる。長門だ、長門に会える!長門は公園の真ん中でボーッと突っ立っている。何をしているんだ?そんな疑問など真っ先に跳ね除け俺は呼ぶ。大声で。
「長門ーっ!」
"眼鏡"をかけた少女が、そこにいた。
「だ……れ?」
最終話『愛の果てに』前編 〜終〜